雑談で生きていく

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必要性と興味について考えてみた。

自分はわりとコードを書くのは得意だし、特に精神的な苦痛なくPCの前で12時間とか普通だったりする。書いてる時は時間を意識することがない。ただ楽しいだけ。だが、文章を書くのが苦手だったり、苦痛だったりする。これに関しては前にも記事に書いたぐらいだ。こんなアホなタイトルつける奴いないだろう。

atyenoria.hatenadiary.jp


この文章を書いてる時もGithubhttps://github.com/atyenoria )で興味のありそうなコードのソースコードリーディングや実験を無性にしたくなる。ふと思い立つと、無意識な時間にGithubのページを開いてしまう。

ここでマザーテレサの格言

 

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから

 

コードを書くというのが現在だと習慣・性格のレベルまで言ってる気がする。 それなしでは自分のアイデンティティーがないぐらいレベル。ただ、始めからこんな状態ではなかった気がする。大学3年の時に初めてのプログラミング課題である万年カレンダーをやっときは苦痛でしかなかった。また、初めてサーバーの構築をさくらVPSでした時(およそ6,7年前)のssh設定は鬼門以外の何者でもなかった。

 

振り返って見るとかなりの数を打っていた。Githubのレポジトリで糞コードを量産してきた。そして、必要性と興味があと押してして現在の興味なってきた。自分の性格上、興味だけ始まることは長続きしない。ただ純粋に面白いと思って始めたことは大概3日坊主になる。例えば、中国語の勉強。深圳に行って帰ってきて、興味湧いて始めたが、続いていない。

 

興味を持った事柄を継続させるには必要性が重要だと思う。みんなも大好きな口癖である "面白いことしかやらない"はほとんど長く続かない。毎日の生活に組み込むことができないので。生活の一部に組み込むことができなければその時に持った熱量、ある種の熱狂が3日で消えてしまう。これは大変な機会損失だと思う。

 

必要性を発生させるにはどうすれば良いのか。これは現在の仕事や生活のルーティンに無理やり組み込むことだと思う。例えば、仕事でオウドメディアが必要になった、そこで記事を書く必要がある(頼めw)。良い記事を書くには日頃から大量の没を量産して、インプットを増やす必要がる。時間に関してもシビアだ。1時間に4000文字、原稿用紙10枚書かないといけない。そういった状態だったら、いやでも書くしかない、私のように。

 

自分の中の格言として、リラックスした心地のよいことをやってる状態が最も危険で成長が全くない、悪く言えば現状維持すらできないと思っている。常にアンコーファタブルなゾーンに身を置かないとヤバイという謎の脅迫観念がある。なので、常新しいことをやり続ける必要がある。新しいことを継続するプロセスは上記で説明した通り、興味から必要性の切り替えをすることだ。じゃあ、発生させるプロセスは何か。

 

今の答えでは圧倒的なインプット量だと思っている。人間はやはり点を繋げて線を引いた延長線上でしか思考できない。今に最善をつくして、知識量を増やすことが興味を発芽させるプロセスだと思っている。就活生などで、自分のやりたいことは見つかりまシェーンみたいな人を往々に見かけるが、だいたい前提知識が不足している(と思う)。


あとは消費と生産のどちらに興味があるか重要である。自分はどちらかと言えば、生産する、新しいものを生み出すものに興味がある。そのプロセスでは新しいものを生み出せば、例えばソースコードなど、また新しい組み合わせで生み出したいという欲求が生まれる。すなわち、生産から生産の正スパイラルが起きてる現象。この状態だとつぎつぎにやりたいことが生まれて、時間が圧倒的に足りなくなる。なんで俺の1日は24時間なんだ!賢い奴は人の時間を使って1日を48時間にしてたりするが。

消費をすることだけに興味がある場合は欲求を満たし続けるのが難しい。初期に莫大な資金量があって、それを海外旅行やショッピングに使うしか道はないだろう。

 以上、色々脱線したが、まとめると、


なんかよくわからんけど、興味ができたら、必要性を生み出して、継続して、知識量を増やして、また興味を作り出せば良い



P.S
 この辺りに、もっと知見持っている方は私とランチしましょう笑